- 【江戸時代】
- 長男が生まれた場合、端午の節供に初凧を上げてもらい、その無事成長と出世を願う風習がありました。この民族行事は、江戸時代中期以降に普及したと思われます。
城下町で次第に華美に行われるようになったため、為政者からはしばしば倹約令が出されました。凧のサイズを限定したり、飲食を質素にする等です。 - 【明治時代】
- 凧の大きさも形も糸もてんでバラバラで、各自が上げたいときに、大安寺、法雲寺、新川端、馬込川端、駅付近、郊外等で上げて合戦に興じていました。
- 【明治43年】
- 国鉄浜松工場(鉄工場)の建設埋め立て地を使い、全町内が一同に会して凧合戦を行いました。
- 【大正始め】
- 期間を5月1日から5日までとし、一定の会場として練兵場を使う事に決められました。
- 【昭和8年頃】
- 広沢町初参加。
- 【昭和22年】
- 旧浜松師範のグランドで凧上げが復活しました。
- 【昭和23年】
- 会場が中田島に移りました。
- 【昭和25年】
- 会場が和時山公園(練兵場)に移り、名称が"浜松まつり"となりました。
- 【昭和38年】
- 会場が中田島に移り、会期が3日間に短縮されました。