広沢町の由来

広沢町は、以前は「沢」という(あざ)で呼ばれていました。沢とは、地形的に 水が浅く溜まった所を意味します。広沢のどこに沢があったのでしょうか。

市立高校と鹿谷郵便局を結ぶ道路は、浜松高等工業学校が現在の西部公民館と市立高校をあわせた場所に建設された時に低地に土盛りしてつくられたものです。
この低地は、この道路の北側から始まり南に向かい、遠鉄アパートを経て普済寺を経てさらに南の秋葉坂下へ向かいそこから西へ曲がります。
この低地が広沢の名前の起源である「沢」です。

現在でも、土盛りの下には排水の通るトンネルがあり、道の北から来た水 はそのトンネルから南に流れ、水道は普済寺を経てバス通りの下の排水路を秋葉坂下の方向へ流れます。(暗渠になる前は見えていました)
普済寺は「広沢山(こうたくさん)普済寺」といいます。

沢の或る所に建てられら為、広沢山と名づけたと思われます。普済寺には、以前は池がありましたし、枯れていますが、今でも石の橋が 残っており、沢を連想させます。
以前の写真を見ると普済寺には滝があった事が解ります。また神社から下って、遊歩道に出る付近には湧き水がつい最近まで流れていました。

普済寺は1432年に比叡山を模して建てられましたが、この時に比叡山の守 護神である「大山咋命」をまつった日枝神社も建てられたようです。
正式には広沢山普済寺でしたので、町名も大正14年に「沢」から「広沢町」に改称されました。また西来院、宗源院、浄土寺はどは、元は普済寺の末寺です。

小林義雄様ご提供
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